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朗読劇団GEN公演

  朗読劇団GENの公演を天王寺の一心寺シアターに見に行きました。今回は浅田次郎「冬の星座」と菊池寛・井上ひさし「唐黒の壺」の二本立てで、どちらも興味深い内容でしたが、特に「唐黒の壺」の方が面白かったです。
 「唐黒の壺」は筑紫の前司(前任の国司)に生き倒れていたところを介抱され、使用人として雇われ、忠実に仕えていた若者が、女性にそそのかされ盗賊として前司の家に忍び込むという今昔物語をベースにした数奇な物語の展開が面白かったです。また、医薬がなかった当時、唐黒という「サトウキビを煮詰めた汁」今で言う「黒蜜」のようなものが、咳や痰の切れに効く貴重な薬として、砂金よりも珍重されていたという話に歴史を感じました。
 朗読劇団GENの公演は、一般には知られていない面白い題材を取り上げているので、何かしら新しい発見がありますね。みなさんの演技も安定していて良かったです。
 観劇の後は、有志で近くの四天王寺に寄りました。ちょうど七夕のお祭りで、境内にはたくさんの人が訪れていました。境内には笹のトンネルや縁日の夜店もあり、コンサートも行われていました。
 参詣後、友人と軽く一杯やりたかったので、天王寺の「明治屋」を訪ねました。
天 王寺駅周辺は再開発されていて、昔、商店街にあった「明治屋」は再開発ビルの中に入っていて探すのに少し苦労しましたが、店内は昔のままのクラシックなイ ンテリアをそのまま残しているので、とても懐かしく、味も昔のままにおいしく、楽しいひと時を過ごすことができました。

芝居はね友と連れ添う夏の夕


一心寺シアター入口





一心寺シアター

満席の一心寺シアター




満員の盛況でした

四天王寺 七夕祭り






四天王寺の七夕祭

四天王寺 七夕祭り




夜店もいっぱい出ていました

明治屋






懐かしい「明治屋」に寄りました

pato * 演劇 * 23:33 * comments(0) * trackbacks(0)

朗読劇団GEN第10回記念定期公演


 朗読劇団GENの公演 井上ひさし作「新釈 遠野物語・鍋の中」「四捨五入殺人事件」を天王寺にある一心寺シアター倶楽で観劇しました。もと勤務していた会社の同僚や所属していた太極拳の仲間が出演しているので、とても楽しみでした。宣伝デザインも、もと会社で同僚だった知人が担当しています。
 「新釈 遠野物語・鍋の中」は柳田邦男の「遠野物語」を背景にしながら、奇談を思わぬどんでん返しで楽しませるお話。「四捨五入殺人事件」は東北のある鄙びた温泉地で起こった奇妙な殺人事件の結末にこれもまた、思わぬどんでん返しを用意して楽しませる劇で、幻想的な尺八の演奏や村の農民が扮する鬼たち舞が、民族的な雰囲気を醸し出していました。
 十分な稽古をうかがわせるテンポにいい展開で、それぞれ約40分、1時間の劇を全く飽きることなく面白く楽しめました。
 主演を演じたもといた会社の同僚をはじめ、出演者の演技はみな抑制が効いて聞きやすく、予想以上に素晴らしかったです。また、伊奈遊子ITC太極拳愛好会の仲間たちの鬼の舞や演技も良かったです。みな鬼の面をつけているのですが、体つきやふとした仕草でどれが誰なのか分かるのが楽しいです。
 一心寺シアター倶楽はコンクリート打ちっぱなしのモダンな創りの劇場で、客席数は250席程度でしょうか、規模もほどよく、客席は雛壇状になっているので、とても見やすかったです。
 また、久しぶりにもとの会社の方々や太極拳の仲間とも会うことができ、うれしかったです。帰りがけ、ふと気がつくと、不思議なことにこのところ続いていた体のだるさや肩こりも治っていました。

善い事の一つもありて夕暮れぬ







一心寺シアター倶楽は
コンクリート打ちっぱなしのモダンな創り








pato * 演劇 * 22:05 * comments(0) * trackbacks(0)

ゴドーを待ちながら


NHKのTVで、ノーベル賞作家サミュエル・ベケットの芝居「ゴドーを待ちながら」を観ました。昔、学生時代、演劇青年だった私は、当時、劇団民芸の「ゴドーを待ちながら」(宇野重吉、米倉斉加年他)を観ましたし、私たちの学生演劇でも、この不条理劇の傑作はしばしば上演されました。だから、とても懐かしかったです。
ウラジミールとエストラゴンという浮浪者が待っているゴドーとは、いったい誰なのか?ゴドーはほんとうにやってくるのか?なぜ、彼らはゴドーを待っているのか?すべては謎に満ちていて、そこが、この芝居の魅力なのです。
宇野重吉と米倉斉加年の演技は、今思い出しても、味があってよかったです。不思議な空間に観る者を誘い込みました。(多少、硬いところはありましたが・・・)一方、今度の串田和美と緒方拳は、とても自然な演じ方でしたが、現実の私たちに近すぎて、舞台が異空間の世界にはなっていないように感じられましたが・・。でも、それはそれで、新しい演出だとは思いますが・・・。
それより、ポッツオとラッキーの印象が鮮烈でした。2人が出てくる場面の光と音の演出もよかったと思います。
それにしても、ゴドーって、いったい誰なんでしょうね・・。

老犬の草嗅ぎわけて春の道










pato * 演劇 * 22:14 * comments(0) * -

ゲームの終わり Endgame



TVでサミュエル・ベケットの「ゲームの終わり」を観ました。「勝負の終わり」とも訳され、不条理演劇の傑作といわれています。車椅子から立てない男、そしてなぜか座れない使用人と男の両親と思われる老人男女の計4人が演じる惨めでどこか喜劇的な人生ゲームの終わりを描いた芝居です。なにか、近い将来、超高齢化社会を迎える私たちの暗い予感を連想してしまいました。
1960年代半ば、いわゆる第二次安保の、学生運動がまだ盛んだった頃、私は演劇をやっていましたが、不条理という言葉は一つの流行で、白石加代子の早稲田小劇場などをはじめとして小劇場運動も盛んでした。ベケットの「ゴドーを待ちながら」、イヨネスコの「授業」「椅子」、ハロルドピンターの「管理人」「料理昇降機」、サルトルの「悪魔と神」、エドワード・オルビーの「バージニアウルフなんか恐くない」などがありますが、私はオルビーの「動物園物語 Zoo Story」をやった想い出があります。
観ていて懐かしさは感じましたが、超不条理な出来事が毎日のように起こる現代社会の中では、当時のような衝撃を覚えないのも事実です。つまり、舞台の上で展開されているabsurdな世界をはるかに超えるabsurdな世界が現実に私たちの周りにあるわけで、発見やメッセージが見つからないんです。
シェイクスピア劇が、どんなに時代が変わろうとその普遍性を失わないのと対照的に、当時は時代の先端だった不条理演劇は、今では一つのエポックになってしまったのでしょうか?

行き行きてどこで泊まるや雁の群れ

pato * 演劇 * 23:30 * comments(0) * trackbacks(0)
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